=====追憶の語り部=====

〜月の夜の魔法〜

【act.4】


 シオンはあたしを無言で見つめた後、小さなため息を零した。
 視線が逸らされてから、ずいぶんと、長い時間が流れていったような気がする。

「……そっか……そうだよな……」

 やがて、頬を撫でる風に目を細めたとき……シオンはそっと呟いた。
 その不思議な響きを乗せた言葉にに思わず視線を動かしたと同時に、ずっと握り締めていた手が引かれ。

 ふわ、と体が暖かな何かに包まれる感触が広がって、視界が遮られる。




 あたしは、シオンに抱きしめられていた。




 驚くよりも先に、その暖かさを身近に感じてあたしは安堵を覚える。
 ほんの少しだけ高鳴る鼓動を感じながら、あたしは目をつむって彼の胸にそっと顔を押し付けた。

 背中に回された両手が、優しくあたしを包んでいる。力をこめるのではなく、ただ、そっと添えられているだけの腕からたくさんの温もりと優しさが伝わってくるような気がする。


――こうやって、シオンがあたしに触れることはあまりない。


 いつも、明るく笑っているけど……シオンは触れることや、温もりを感じることに臆病になっているから。

 だから、シオンがこうしてあたしに触れるのは、彼の心が無防備になっている証拠。
 いつもは硬く、深くに隠している心をわずかでもさらけ出しているという証拠。


 ぬくもりを求める心が、こうして外に現れているんだと、あたしは知っている。


 柔らかな風にシオンの髪がゆるくなびき、ふんわりとゆれる。
 あたしの好きな、生きているものの、太陽の、自然のにおい。

 シオンはよく、「俺は血塗れなんだ」と言って自嘲じみた笑みをもらすけど……そんなことない。


 だって、シオンはちゃんと生きることを、そして命の大切さを知っている人だから。
 そして、あたしが好きになった人だから。

 そんな人が、どうして穢れていることになるだろう?
 どうして、それがシオンにはわからないのだろう。


 愛しさと切なさが胸に押し寄せてきて、あたしは無言のまま、目じりから零れる涙を隠すように再びシオンの胸に顔をこすりつけた。

 そんなあたしに気づいているのかいないのか、シオンはゆっくりとした動作であたしの髪を梳き始めた。

 あたしの青い黒髪がさらさらと音を立てて零れ、すくわれているのが目を瞑っていても聞こえてくる音からわかった。

「俺、自分のことばっかりだったんだな。エリナも辛いんだって……そんなこと、全然考えもしなかった。……何にも分かってなかった。分かってやれなかった。……ごめん」

 静かに紡がれる言葉が、すっとあたしの心に届く。

 髪を撫でる手が、背中を覆う腕が、体を包む温もりが――シオンのすべてが、あたしの心を満たしていく。

 シオンはあたしを胸に抱きしめたまま、ゆっくりと言葉を紡いでいる。
 だから、あたしにはシオンの表情は見えない。見えないほうが良いかもしれない、と漠然と思った。

 見たら、どうなるかわからないから。
 自分が引き返せなくなってしまいそうだから。




 永遠に――あたしの『こころ』が囚われてしまうかもしれないから。




「つらいのは、俺だけじゃないんだよな。……見てるだけだって、苦しいんだよな」
「……あたし、平気だよ。人を殺すとか、そういった事じゃなくて……あたしはシオンの役に立ちたいから。だから、足手まといにならないように、自分の身くらい自分で守れるようにしたいの。それくらいの事が、できるようになりたい……」

 ふっと、冷たい空気の流れる中で暖かな風があたしたちを包み、離れていく。
 月がゆっくりとめぐり、雲がゆるやかに流れていく様が目に見えるような、そんな空気が流れていった。

「ああ……そうだな……」

 優しい声が響き、ほんの少しの間の後、軽く頭をぽんっと撫でるように叩かれた。
 それを合図に、あたしはそっと体を起こした。

 不思議な気恥ずかしさを紛らわすかのように軽く頭を振って、にじんでいた涙を拭おうと手を上げ――それを、シオンに阻まれる。

 不思議に思ってあたしが顔を動かしたのと、右の頬にシオンの手が触れたのは同時だった。

 ふわり、と触れた手のひらの感触に目を瞬く。そっと、包み込むように触れている、大きな男の人のてのひら。
 シオンの顔に視線を向けようと、もう一度顔を上げて――


 気づいたときにはすでに、柔らかくて暖かなものがくちびるに触れていた。


 嫌悪感も何も無く、ただ、温もりが感じられる。
 目の前には、微かに震えているまぶた。さら、と零れた前髪がくすぐったい。




 そして、……シオンの顔が、こんなにも、近い。




 頭が真っ白になって、何も考えられなかった。

 呆然としたあたしに構うことなく、それは長い間あたしの唇に触れていた。

 しばらくすると、名残惜しそうな感じでそれ――シオンのくちびるはゆっくりと離れ、あたしの下唇を軽く舌で舐めるようにしたあと、やっとシオンは顔を離した。

「…………」

 目を見開いてただ瞬きを繰り返すだけのあたしを見て、シオンはふっとあたしを安心させるかのように表情を和らげてみせた。

 優しい表情の中にある、いつもとは違う、どことなく艶っぽくて熱を持った眼差しに気づく。

 シオンの見せた優しい表情に安堵すると同時に、いままで一度も見たことのない眼差しにあたしの鼓動は自然と早まっていく。

 わずかに潤んだように見える瞳が半分くらいまでまぶたに覆われ、彼は再びあたしに顔を寄せた。

 どうしていいかわからないでいるあたしの頬に、額に……と、ゆっくりとした動きでシオンのくちびるが掠めるようなキスを落としていく。

「ん……」

 不思議なくすぐったさに思わず目を閉じると、そのまぶたにさえ、あたたかなものが触れていく。
 両方の頬に大きな手が添えられ、ふんわりとした暖かさが体中に満ちていく。


 怖いんじゃない。嬉しくないわけじゃない。


 ただ、胸の奥からこみ上げてくるものに、あたしはいつしか、涙を零していた。

 シオンはそれには何も言わず、かわりに流れ落ちる涙をそっと舌ですくい、目じりにくちびるを押し当てた。零れ続ける雫を止めようとするかのように、やさしく、何度でも。

 零した涙のあとをそっとたどられ、また、目じりへのキス。そうして反対側の頬にも同じようにくちびるを寄せていった。

 やがて、静かにシオンが離れていく気配がして、あたしはそっと閉じた目を開いた。



 ほんのわずかに離れた、シオンの顔。



 まっすぐにあたしを見据えるその眼差しが、あたしの心に染み込んでいく。

 うすぼんやりとした月明かりの下で、その蒼い瞳はいつもよりずっと深い色に見える。その瞳の中に、小さくあたしの姿が映っていた。

 目を瞬いた拍子に、ちいさな涙の飛沫がはじける。

「……エリナ……」

 わずかにかすれたような熱を含む声で小さく名前を呼ばれ、あたしはそれが当然であるかのように、そっとまぶたを下ろした。




――ねぇ、自惚れてもいいの?

 わたしがあなたを想うように、あなたもまた、わたしを想ってくれているのだと。
 わたしがあなたに願うように、あなたもまた、わたしに願ってくてれいるのだと。

 わたしがあなたを愛するように、あなたもまた、わたしを愛しているのだと。





 音もなく、そっと暖かな気配があたしを覆い、そして――

 2度目のキスは、涙の味がした。







 大きな男の人の体に包まれながら、あたしは月を眺めていた。

 崖に背中を預けるようにして座り込んだシオンの胸に背中を預けるような形でやさしく抱きしめられながら、あたしたちは静かに会話を交わした。


 いつもなら、絶対に口に出せないような、そんなこともたくさん話した。


 声を出して笑ったり、怒ったりするのではなく……静かに言葉を交わし、それに相槌を打ち、そしてまた言葉を交わす。

 声が途切れても決してそれを急かしたりしないで、再び口を開くまで何も言わず。
 言葉を促すこともしないで、ただ、他愛もないことを話した。

 時々だけど、会話の合間にキスが降ってくる。

 やさしく握られた手の甲に、そっと持ち上げられた髪のひとふさに。
 穏やかな愛撫にも似たそれは零れるような笑みを誘い、あたしはいつしか微笑みを浮かべていた。

 シオンと旅をするようになってからずっと付きまとっていた想いが、綺麗に霧散していくのがわかる。
 全部が全部、なくなったわけじゃない。すぐにまた不安を覚え、哀しみを抱くのだろう。

 でも、それはきっと、なくてはならない想いだから。

「……シオン」

 ふんわりとした暖かなぬくもりのなか、言葉の途切れた合間にあたしは小さく呟いた。
 囁きよりも小さく、風にさらわれるほどに、かすかな声で。


 あたしの手を握るシオンの手が、ほんの少しだけ力を強めた。


 答えはないけれど、それで十分だった。

 軽く目を瞑り、そよそよとした風に身を任せる。

 ここが、あたしのいるべき場所。
 あたしがいたいと思える、そして帰るべき、場所。







 あれからどれだけたったのだろう。
 ふと、体を包む暖かさと頬を撫でる風にあたしはふっと目を開いた。

「んー……」

 ぱちぱちと目を瞬いて、あたしはふと、自分を包むマントに気がついた。
 シオンのマントだ。

 どうやら、眠ってしまったあたしを気遣って、シオンがかけてくれたらしい。
 ……というか、彼が着ていたマントでそのまま抱きしめられていたあたしまでを包んでくれたようだった。

 まだ空は暗く、夜の闇を呈している。だが、月はずいぶんと中天から移動していた。

 ほんの少し夜の空気が冷たいけれど、その代わりのようにあたしのお腹の前あたりで組み合わされたシオンの手が、ゆるやかな暖かさを伝えてくる。

「あたし、寝ちゃってたんだ……」

 小さく呟いて、あたしは微かなあくびを零した。
 そうしてやっと、自分を包む青年の反応がないことに気づいた。

 いつもなら、あたしが目覚めたときは絶対に彼もおきて、何かしら反応を返してくれるのに。

「……シオン?」

 訝しげに小さく問い掛けた声にも、全く答えはない。

 どうしたんだろう、とふと不安になったとき。ほんの微かに、零れるかのような吐息が聞こえた。
 すぅ、と規則的に繰り返されるそれに、あたしは目を瞬く。

「もしかして……」

 背中から伝わる暖かさと、聞こえてくる吐息にあたしはゆっくりと後ろを振り返った。

 ほっそりしているクセにやたらと力のある腕。やや細めの肩。その上へと視線を送り、あたしは驚きに目を見開いていた。


 崖に体を預け、シオンは寝入っていた。


 目を閉じて、疲れたように崖にもたれかかって、とても気持ちよさそうに。
 あたしはそんなシオンの姿をはじめて見た驚きで、しばらくの間硬直しきっていた。

 幼い頃から命を狙われつづけた所為か、シオンは常に気を張っている。あたしと出会って旅をするようになってからも、それはずっと変わらなかった。

 むしろ、それまで以上に夜の警戒を強めたといってもいい。

 いつ、どんな時であっても他を警戒するのを忘れず、それ故に滅多に熟睡することのないシオン。

 そんなシオンはいつも眠りが浅く、ほんの些細な物音を耳にしただけで目を覚ます。だから、あたしはシオンが眠った姿というのを目にしたことがない。

 あたしが目を覚ます気配に、彼もまた、目を覚ましてしまうから。

 疲れたのもあるのだろう。昨夜はずいぶんと探し回ってくれたようだったし。
 だが、たとえどれだけ疲れたにしても、きちんと安全を確保していない場所で彼が眠るのはほとんどありえない。

 たから、たぶんこれは――

「あたしに、気を許してくれたの……かな」

 いつも、目が覚めた時には笑ってあたしを見ているシオンに、信じてもらえてないのかと……そんな思いを抱いていた。

 勘違いなのかもしれないけど、でも、あたしに気を許してくれている――そう思えること、それが嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。

「まったく……だらしないなあ」

 苦笑交じりの声は、けれどその内容とは裏腹に自分でもびっくりするくらい優しい響きを残した。
 くすくすと小さく笑みを漏らして、あたしはじっとシオンの寝顔を見つめていた。

 シオンの頬には泥がつき、髪には木の葉が引っかかっている。

 心配して走り回ったからか、あたしがそっと手を伸ばして木の葉を取り、泥を落としても身じろぎ1つしない。
 よっぽど疲れたのか、安心して気が緩んだのか。おそらく両方だろうけど。

 弱々しい月光に照らされたシオンは珍しく年相応に見え、いつもよりも幼く見える。

 普段は大人びた顔をして、無理をして見栄を張っているように見えていたから、カッコイイとは思うけど、そんなシオンの表情はちょっとイヤだった。

 だから、こんなシオンの顔を見れたのが少しだけうれしくて、またあたしは微笑みを深くする。


(まだ、剣術教えてくれるか聞いてなかったっけ……)


 起きたあとにそのことを聞いたら、彼はなんというのだろう。

 じっとシオンの寝顔を見つめていて、あたしは不意に、自分がもうとっくの昔に彼に囚われていた事に気がついた。

 初めて出会った時から、ずっとそれはあたしの中にあったもの。





『囚われた』のは、あたしの『心』。




「……なんか、くやしい……」

 別に、それが嫌というわけではない。ただ、少しだけ――悔しいと、そう感じるだけ。
 彼を好きになれたのは嬉しい事だから……。

(好きになる人は、選べないのだから……)

 喜ぶべき事なのだろう。彼と出会ったのも、運命だと思っておこう。



 だって、――その方が素敵でしょ?



 ただひとり、あたしを想ってくれる人。そんな人と出会えたのだと。
 きっと、幸せだと想ってもいいはずだ。

 くすり、と自然に微笑みが生まれる。後から後から幸せがあふれ出て、零れてしまうそうだ。


 この想いが確かなものであって欲しいと願う。
 これが、永遠であればいい。そうすれば、ずっと彼と共にいられるのだから。


 すぅ、と小さく吐息を漏らすシオンにもう一度微笑みかけて、あたしは再びシオンの腕の中にもぐりこんだ。

 暖かな胸に背中を預け、マントをそっと引いて目を閉じる。
 月明かりの消えた暗い闇の中で、そっと耳を澄ますとたくさんの音が聞こえてくる。

 トクン、トクンと鳴り続ける心臓の鼓動。あたしのと、そしてシオンの分。

 あたしを包む暖かさは、シオンがくれたもの。
 回された手は、あたしを守り、導いてくれるもの。

 くすぐったい気持ちが溢れて、胸中を幸せで満たしていく。
 あたしはそんな幸せに耐え切れずに、そっと口を開いた。




「シオン。……大好き、だよ」




 彼が眠っているからこそ、口に出そうと思える言葉。まだ、きちんと言うつもりはない。
 ただ、いつになく穏やかな心で、あたしはシオンの手の上に、あたしの手を重ね合わせてみた。


 いつか、教えてあげる。あたしがどれだけ、あなたを好きなのか。

 でも、まだ教えてあげない。
 もうちょっとだけ、あたしの心に秘めておく。

 この幸せな、暖かな気持ちといっしょに、ね。





 ふっと、ずっと昔に姉が言っていた事を思い出した。

 あたしがまだ小さい頃、そのときにはもう大人と呼べる年頃になっていた姉に、尋ねたことが合った。
 「好き」ってどんなものなの、と。

 幼い子供の質問に、いつも適当な答えを返していた姉は、あの時だけはいつになく丁寧に答えてくれた。だから、いつになくあのときの記憶は心に残っている。




――人を好きになるのはとっても簡単で、とっても難しいのよ。
 好きだっていう気落ちは、ある時突然にして、心の中に現れてしまうのだから。

 誰かを選んで好きにはなれないの。もしかしたら、嫌いだった人が好きになるかもしれない。
 まったく知らない人を、突然好きになるかもしれないのよ。


――じゃあ、エリナにもいる?
 エリナにも、すきなひと、できるかな?


――もちろんよ。誰かはまだわからないけれど、きっとできるわ。

 いつかきっと、エリナだけを心から愛してくれる人。
 エリナが心から愛せる人が、きっと、ね。




(そのとおりだったね、お姉ちゃん)

 胸の中でやさしく微笑む姉に笑いかけ、あたしはそっと重ねた手のひらに力をこめた。

 見つかったよ。好きな人。好きだと思える人。
 いつか……いつか、いっしょに逢いにいくから。だから、待っていてね。




 少しずつ明るくなってきた宵闇の中であたしはうとうととまどろみながら、起きたシオンにどんな顔であいさつすればいいか、考え出した。


 夜が明け、彼が目覚めるまで、考える時間はたくさんあるのだから――。




END□□□□□



+あとがき+

『追憶の語り部』、エリナサイド。……というのとは、ちょっと違うんですが。
エリナとシオンがケンカする話だったはずなのに、いつの間にか変更に(笑)。
とりあえず、テーマは「すれ違った想い」です。

でもラブラブ路線突っ走り……これを書くのにどれだけの時間がかかったことか(遠い目)。
前作の2倍以上のボリュームですしね……。
ちなみに、某所のアップしたのとは激しく違います。
修正したというより後半まるまる書き直したし、シーン追加したし。
ていうか、キャラ別人ー、ありえなーい、等ツッコミ受け付けてます(笑)。

ふたりの物語は、これからもずっと続いてゆきます。
いつか、どこかで、時々ケンカしながらも自分達の道を進んでゆくことでしょう。

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