今日もきっと、眠れない。
 立ち向かう人たちを切り捨てた日は、決まってルークは月を眺めた。
 震える体を毛布で包み、夜に怯え。


 そうすることが、もう、あたりまえになってしまった。





眠れぬ夜の子守歌□□□







 ぱちり、と火の爆ぜる音がする。
 押さえて零した溜息に、そっと撫でるような声がかけられる。
「……眠れないのか、ルーク」
「……ん……」
 幼なじみの言葉に、ルークは素直に頷きをかえす。
 これが、他の誰かであれば即座に寝たフリでもしていたのだろうけれど。
 幼い頃からの――それこそ生まれた時から傍にいてくれたガイに、うそはつけない。
「寝ないと明日、辛いぞ」
「……うん……」
 わかっている、のだけれど。
 もうすっかり慣れてしまった手の震えを感じ、そっと口の端が歪んだ。
 それを隠すためにわざと肩越しに振り返り、想像通りの表情をしているガイを見やった。
 暗がりに見えるガイに、へらりと笑ってみせる。
「ちょっと、考え事。もう寝るって」
「そうか? ならいいが……あんまり卑屈になるなよ」
「わーってるって。んじゃ、おやすみ」
 短く言い切り、ルークはごそごそと体を縮めるようにしてガイに背を向けた。
 彼はきっと、心配そうな表情で自分を見ているのだろうけれど。
 気付かないで欲しい、気付かないフリをして欲しい。


 微かに震え続ける手を、きつく抱きしめる。
 いつもの、ように。


 眠る気などない。
 目は冴えきっているし、たとえ睡魔が襲ってきてもすぐに目覚めてしまうだろう。
 この、震え続ける手に残る、忌々しい感触が消えない限り。




 
――ヒト ヲ コロシ タ




「……ッ!」


 ドクン、と体の中心が強く脈打つ。
 その時の生々しい血の匂いまで蘇り、強い吐き気が襲ってくる。
 震える手で強く口を抑え、悲鳴が漏れるのを防いだ。
 きつくきつく閉じた瞼に、浮かび上がるソレ、に。
 込み上げてくる熱い何かに、叫びだしたいと想う自分がいた。









 ゴメンナサイ、ゴメンナサイ
 俺があなたたちを殺しました、あなたたちから命を奪いました
 出来そこないで、奪ってばかりいるレプリカの俺が
 何よりも大切な、たったひとつの命を、奪って


 ――ゴメンナサイ









 叫ぶことが出来たら、どれほど楽になるだろう。
 謝ることが出来れば、どれほど救われるだろう。


 けれど、きっとそうしない自分がいることを、ルークは知っている。
 謝っても、きっと、誰かが許してくれるわけではないのだ。
 ただ、背負わなくてはならないのだから。




「ルーク」




 短くかけられた声に、けれどルークはぎゅっと目を硬く閉じ、浅く息を吐いた。
 震える手を、かたかたと音を立てる歯を渾身の努力で押さえつけ。
 何度目かの深呼吸で、やっと、誤魔化せるだろうほどに、落ち着きを取り戻す。
「ルーク? もう寝たのか?」
「……なんだよ。あとちょっとで眠れそうだったのに」
 わずかに、責めるように。
 昔と同じ甘えるような口調に、ガイもまた悪い悪い、と苦笑まじりに謝罪する。
 そうすることで、どちらもが、隠し通すフリをする。
「んで、何の用だよ? 俺もう寝みぃんだけどー」
「あー、……何でもないんだ。悪いな」
 変なガイ、と口にして、それきり。
 闇と、静寂とが戻ってしばらくすると、ふたたびガイが小さく名を呼ぶ声がする。
 ルーク、と囁くように投げかける声に、優しさに。
 すがってしまいそうになる自分を、何よりも嫌悪しているのは、ルーク自身だ。




「ルーク」




 応えのない呼びかけを、けれどガイは幾度となく繰り返す。
 それを耳にするうち、ふと、ルークは手の震えが大分収まっているのを感じた。
 吐き気を催す声も、少しだけ、遠ざかっている。
 それに気付いて、ルークはちょっとだけ、笑った。
 目のあたりが熱くなったことにも気付いたけれど、知らないフリをした。









 記憶が始まったころから聞いていた、低くてやさしい声。
 繰り返し、繰り返し名前だけを呼ぶそれは、ガイの子守歌だ。
 幼い頃、一人で寝る夜に怯え、よくおやすみと声をかけるガイにしがみついていた。
 帰っちゃイヤだ、と駄々をこねるルークにガイは根気よく付き合ってくれた。
 小さな、見かけ以上に幼い子供に、絵本を読み聞かせ。


 そうして、それでもぐずるルークに、困ったように笑って名前を呼ぶのだ。


 繰り返し、繰り返し。
 ゆっくりと、低く押さえた声で、泣き疲れたルークが眠ってしまうまで。
 飽きることなく、ガイは名前を呼び続けた。
 時折ぽん、と触れる手のひらに、眠っていいんだよと言われているようで。
 ひどく安心した気持ちになれた。
 幼い自分が夜に泣くたび、ガイはそうして名前を呼んだ。
 時が流れるにつれ、ルークも夜に怯えることは少なくなって。
 自然と、ガイがそうすることも減ったけれど。









 昔と同じように、名前を呼ばれるだけでこんなにも穏やかな気持ちになれる。
 そんな自分に、少し呆れて、少し笑った。


 調子のいい、子供っぽい自分に。
 昔と同じことをしてくれる、優しい幼なじみに。


 ゆっくりとした調子で繰り返される名前を耳にして。
 ルークはそっと、目を閉じた。









 きっと、今日も眠れないのだろう。
 いままでがそうだったように、これからもそう。




 けれど、今日は少しだけ安らいだ気持ちでいられる。
 体の震えも、少しだけ小さくなった。
 ただ、それだけなのだけど。




 名前を呼ぶだけの、ただそれだけの子守歌を耳にして
 ルークはいつもと同じ眠れぬ夜に、微笑みとひとすじの涙をこぼした。









<たったひとつの言葉、それこそが子守歌>




 屋敷にやってきたルークに、ずっと一緒だったのはガイ。
 ルークは小さい子のように、きっと夜に怯えていただろうけど、
 ガイは子守歌を歌ったりはしない。それは、きっと彼の気持ちのせいもあり。
 だから、ぐずる子供に出来るのは、名前を呼ぶことぐらいで。
 でも、それこそが、きっとルークの欲しかった子守歌。

 そんな記憶を思い出せる日があればいいな、と。
 そんな気持ちを込めて。




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