見上げた夜空に、瞬く星々と月を見る。 寝静まった夜の街で、灯り一つない空はひどく眩しい。 いつもは見えない小さな星さえ目に見えて、それを不思議と眺めてしまう。 そして見上げた月に、首をかしげた。 どうしてだろう、それはいつもと違ういろを纏い、 あかく、夜空に浮かんでいた。 月が赤く見えた夜□□□
ふと、意識が浮上するのに気付く。 眠りと目覚めの狭間にいるような曖昧な感覚に、まどろみを覚えている自分がいる。 まだ完全に覚醒していないのだから、このまま眠っても良かったのだけど。 何故か、何かに呼ばれた気がして目を開けた。 視界に映るのは闇、けれどすぐに目が慣れればそれは宿屋の天井だとわかる。 昨夜は、久し振りにセントビナーへ訪れたのだったか。 部屋割りでつまらないケンカをし、夕食をマクガヴァン元帥に招かれ、他愛ない話をして。……ひさしぶりに穏やかな夜を過ごし、眠りについた。 急がなければならない、というのはわかっている。けれど、誰からともなく今日くらいはゆっくり休もう、と言って。 ――それは、誰が為でもなく。それぞれが、それぞれのために。 ゆっくりと瞬いて視線を窓のほうへ動かせば、まだ夜の気配が濃い。 薄いカーテンから零れる微かな月明かりに、お前が呼んだのか、と意味もなく想った。 もっとその光を眺めてみたくて、音を立てないように身を起こすとそれでも小さく軋むベッドに、僅かに慌てて隣のベッドで眠る人影に視線を移す。 しばし息をつめて見つめても、変化を起こさない様子にガイはわずかな溜息を零した。 (さて。どうするか) 特に目的があって起きたわけでなく、何かに起こされたわけでもなく、ただ、なんとなく目が覚めてしまっただけで。 それでも不思議と寝直すという気分にはならない。 このままベッドに座りこんでいるのももったいないような気になり、結局何気なくふらりと立ち上がり、外へと向かったのは。 やはり、何かに誘われていたのかもしれない。 「――ナタリア?」 新たな大地に落ち着いた街は、まだ崩落の痕跡が色濃く残っている。 そんな中、宿からでてすぐの広場の辺りで佇む見知った人影に気付き、ガイは声をかけた。 「まぁ……ガイ? どうしたんですの、こんな時間に」 「それは俺のセリフだよ」 驚いたように目をまたたくナタリアに、軽く笑みを浮かべて静かに歩み寄る。 わりと穏やかな気候のセントビナーでも、夜は冷える。薄い部屋着だけを纏う少女の姿はいかにも涼しげで、ガイは軽く眉をしかめた。 あいにく、毛布もなければ彼女に渡せる上着もない。風を遮る壁や木立のない広場の真中では肩が冷えて風邪を引いてしまう、とすぐに考えが至るところがガイらしい。 「そんな薄着じゃ寒いだろ。風邪を引く前に早く部屋に戻ったほうがいいんじゃないか?」 「大丈夫ですわ。そんなにわやではありませんし、少し、外に出ていたい気分ですの。……ところで、ガイ」 「ん?」 「まだ直りませんの、それ」 自分とガイとの間にある、会話を交わすには微妙に開いた距離を示すナタリアは、どちらかといえば呆れの色が濃い。 それはガイも自覚していることだったので、さすがに苦笑を浮かべるしかない。 過去を全て思い出した今なら、女性に対する恐怖にも理由を理解している分、多少は我慢できるのだが。 長年「理由のわからない恐怖」を味わい続け、女性が近付くたびにほぼ条件反射のように鳥肌立てる体は、流石にそう簡単には素直になってくれない。 「こればっかりは、まだちょっと、な」 「……まぁ、昔に比べれば大分ましになりましたけれど。あの頃は絶対に手の届く距離には近付こうとしませんでしたでしょう?」 「いや、まぁな。これでもだんだん慣れてきてはいるんだが」 どこか責めるような、けれど昔を懐かしむような温かみのある声にガイも答えを返す。ガイの言うとおり、ルークたちの懸命の努力(という名のおせっかい)により、昔と比べれば雲泥の差と呼べるほどには、症状も落ち着いている。 軽く頭をかきながらの、旅の間にすっかり慣れた堅苦しさのない柔らかな口調で話すガイに、ナタリアもくすり、と小さく笑みを零した。 ナタリアがしばらくはここから動きそうにないのを感じ取り、ガイも楽な姿勢を取り――さりげなく、ナタリアの風上に移動して――二人はしばし、静かな夜を楽しんだ。 それからしばらくの間、二人は涼しい夜の余韻を壊さぬ程度に、弾んだ会話を楽しんでいた。 昔のこと、旅の間のこと、作った料理のこと。そんな、他愛ないことを。 そんな他愛ない会話を続け――やがて、ふと声が途切れた。 とくに理由があったわけでもなく、何か気まずいことがあったわけでもなく。 ただ、本当に、ふと言葉が消えた。 「…………」 「…………」 そよりと流れる風に、さらされるままの髪をそっと眺め、どこか遠いものを見る目でナタリアは空を見上げていた。 その手がそっと胸元に触れたのに気付き、ガイは微かに目を細めた。 ナタリアの手が触れた場所にあるものが何か、迷うことなく思い当たって。 「ナタリア。――嫌なら」 「行きます。止めたりしませんわ」 ガイの言いかけた言葉を鋭く遮り、けれどその口調とは裏腹に戸惑うかのように瞳を揺らす。 言葉にすることでそれを決意としようとするかのようなナタリアに、ガイはどこか、もう一人の幼なじみの姿を感じていることに気が付いた。 眩暈がする。 (ああ――そうか。だから、こんなにも) 音もなく揺れる胸中の想いが、溢れ出す。 ***** ふいに口を閉ざしたガイに咎められているとでも感じたのか、ナタリアは強く拳を握って頭をった。 笑顔にはなれないけれど、不安を隠しとおすつもりもないけれど、でも。 「大丈夫ですわ。わたくしは、きちんと見届ける義務があるのですもの。ですから――」 「無理、しなくていいんだ」 「……え?」 まくし立てるように言葉を紡いでいたナタリアに、ガイはきっぱりと告げた。 その言葉に、その意味を理解するよりも先に、どこかガイらしくない響きを感じ取ったナタリアは横に立つ青年を振り返った。 ナタリアを見るのではなく、けれどまっすぐな視線で前を向いたまま、ガイはもう一度「無理するな」と口にした。 「……ガイ?」 「辛いなら、怖いなら。逃げたって諦めたって別にいいじゃないか。そうすればいいじゃないか」 「……それは、できませんわ。わたくしはわたくし自身のために、行かなくてはならないと、そう決めたのですもの」 それは、明日、きっと起こるであろうことに対して。 自身の、本当の父親であると言う男と対峙するであろう、未来に対して。 迷っているのも自覚して、けれどティアと話すことでそれでもいいのだ、と知って。そうして行こうと決めたのだから、たとえ辛くても怖くても、それはナタリアが受け止めるべきものだ。 そう口にしながらも、ナタリアはどこか違和感を感じていた。 他の何よりもナタリアを――身近な人間を優先させる態度は、酷くガイらしいものだけど。どこか、その言葉には小さな齟齬が感じられる。 言葉を交わす相手に顔を向けないのも、らしくない。 「どうしたんですの、ガイ。……らしくありませんわね」 「……そうか?」 ちらりとのぞかせた微笑は、どこか寂しげな色をもっていて。 相変わらず、ナタリアには向けることのない視線の先を、変わらないまっすぐな眼差しで見つづけるガイに、何かが脳裏を横切った。 それは、とてもよく見知ったもので。 「でも、本心だよ。無理をしてまで戦う必要なんてないじゃないか」 「…………」 その言葉には嘘はないだろう。それは、幼なじみとして過ごしてきた自分にはよくわかる。 けれど、何かが。 困惑したまま視線を動かして、ふと花壇が目に入った。 夜は閉じているつぼみから連鎖的に思い出した花の色に、はっとナタリアは小さく息を呑んだ。 ガイの見つめる先にあるのは、彼らが泊まっている宿屋がある。そして、その視線の先にある角の部屋にいるのは。 そして、ガイが口にした、その言葉は。 「……変わりませんわね、ガイは」 「ん?」 「優しい、と言ったんですの。昔から……そうでしたわね」 「そうか?」 そこでやっと振り返って軽く首をかしげる年上の幼なじみに、ナタリアは口を綻ばせた。 もう、彼の表情に先ほどまでの微笑はない。けれど、それはなくなったわけではなく、ただ心の奥底にしまいこまれただけなのだろう。 そして先ほど紡がれた言葉は、きっと。 (わたくしへの言葉でもあったのでしょうけれど、でも、それは) 最後の最後で止めることを選べなかった、掛け替えのない存在への。 「…………」 ナタリアはそっと顔を伏せ、目を閉じた。 自分がこうしてひとり眠れずにいたように、彼もまた罪悪感とも少し違う、言葉にならない感情を吐き出さずにはいられなかったのだろう。 いつもと変わらぬ笑みを浮かべている彼を見て、形にできない「何か」を感じていたのだろう。漠然とした、ともすれば逃がしてしまいそうになる微かな不安のような予感を。 そして、思い返せば先ほどまでの自分が、どこか少し前の彼に似ていたということにナタリアは気付いた。 無理をしていることも、辛いのだと言うこともわかって、けれど今もなお進み続けている、彼に。 (ガイは、きっと昔から……他の誰よりも『ルーク』に優しかったから) ***** 「最後まで、見届けると決めたのですもの。……ガイも、そうなのでしょう?」 そう口にしたナタリアに、ガイははっきりとした苦笑を浮かべた。 聡明な彼女は気付いたのだろう。ガイが、ナタリアにルークを重ねていたことに。 そしてその言葉から、ガイもまた気付いてしまった。――ナタリアも自分と同じように、ルークの隠し事を薄々と察しているのだということに。 止められず、漏れ出した言葉は間違いなくナタリアへのもので、けれどそれは、ルークへのものでもあって。――ルークへ送るはずだった、もので。 「……そう、だな」 「ええ、そうですわ」 複雑に絡まりあった想いを、わざわざ解き解す必要などないのだろう。 ただ、それを受け入れることを選んだのならば。 (それこそ、らしくない、か) 今夜は何時になく感傷的になっているらしい。そんな自分に気付き、ガイはちょっとだけ笑った。 「もう寝たほうがいいな。風邪でもひいたら、旦那やアニスがなんて言うかわからないからな」 「ふふっ。そうですわね」 そう言って、二人並んでゆっくりと歩き出した。 月は大分動いているけれど、朝になるにはまだ時間はあるのだから。 宿のドアを閉める前に、ガイはふと空を振り返る。 淡く輝く月のいろに、ほんのかすかに目がくらんだ。 静かに音を立てないようにと気遣って戻った部屋で、相変わらず静かに上下している肩にほんのわずかに目を細め、……そのまま窓辺へと足を運んだ。 ベッドの横を通り過ぎるとき、不自然に乱れた寝息に気付かないフリをして、そのまま僅かに開いているカーテンに手を伸ばした。 見上げた夜空の月は、先ほどと変わることなく。 いつもと同じように、けれど、ほんのかすかに色を違えて、 あかい色を抱きながら、浮かんでいた。
<絡まりあう想いが、ただ目をくらませる>
レムの塔でのイベントを終わらせて、ラルゴのことを知って。 そしてユリアシティにいった後、対峙する直前の夜。 これから先にあること、つい先日にあったこと、それぞれに対する想い。 ガイとナタリアは、ちょっとだけ似ていてちょっとだけ違う。 想いをすべて解き放つのではなく、もつれたままのそれを知るということ。 きっと、そうしたまま彼らは進むのだろう。 ふたりにはこんな夜があってもいい。それは、幼なじみを想うがために。 ……何故セントビナーなのか、という疑問は却下です。 |