それは、いつの事だったのだろう。 遠い遠い記憶の彼方、けれど忘れられない引出しに眠る、その出会い。 私は目を閉じて、それをゆっくりと思い出していく。 ***** ――ほら、ごあいさつなさい。 母に背を押され、数歩歩みだす。 私はすごくびっくりして、慌ててその手を掴んでから恐る恐る顔を上げた。 ひとりの少年と、母と同じくらいの女の人がいた。 ――お母さんのお友達と、息子さんよ。 そう言われ、母を見上げてからもう一度その二人へと視線を向けた。 微笑む女の人はとても優しそうだったから、少しだけほっとして。 どうしようか迷ってから、ちょっとだけ頭を下げてみた。 ――もう。この子ったら恥ずかしがり屋で。いつもはもっと元気なんだけど。 ――女の子ですもの。その方が可愛らしいわ、ずっと。 頭の上で交わされる声を聞きながら、目の前にいる少年を見つめた。 自分より少し小さい男の子。 「お母さんのお友達」という女の人の「息子さん」は、そっぽを向いていた。 ――うちの子も人見知りが激しくて。男の子なんだから、もっとしっかりしてほしいのだけど。 女の人は困ったように言ってから、男の子の頭をぽんとなでた。 すると、その子はぎゅっと眉をよせてからこっちをちらりと見て、またそっぽを向く。 ――素直じゃなくて……困ってるの。 ――男の子だもの。少しくらい意地っ張りな方が、いいんじゃないかしら。 そう言って、母はくすりと笑っていた。 女の人も同じように笑ってから、もう一度男の子の頭をぽんとたたいた。 ――この子、あなたと同じ年なの。仲良くしてあげてくれるかしら? そう言った女の人が心配そうな顔をしていたから、私はなんとなく頷いた。 するとほっとしたように笑って、「よかった」と呟いた。 やがて、母と女の人は楽しそうにおしゃべりを始めた。 私は母がおしゃべりが大好きで、ほうっておくといつまでも話しているのを知っていた。 だから、いつものように公園に遊びに行こうと思った。 ――あら。公園に行くの? じゃあ、二人で仲良くしててね? ――ケンカをしないようにね。車に気は気をつけて、変な人にはついていかないでね。 そう言われ、私はちょっと困って男の子を見つめた。 私が男の子を見ると、ちょうど男の子も私を見ていて、すぐに二人で慌てながらそっぽを向いた。 しょうがないから、わたしは目の前の公園を見ながら、 ――ほら、いこ! 顔なんか見ないで、その子の手をぎゅっと掴んで走り出した。 うしろから小さく「わっ」って声がしたけど、そんなの知らない。 とにかく走って、公園のはじっこまでいった。 手が、すごく熱い。 公園のはじっこの、誰もいないところで立ち止まる。 ドキドキしながら、どうしよう、どうしようって何度も小さく呟いた。 ――どうしよう。 男の子は何も言わなくて、私も何も言えなくて、二人でずっと黙ってた。 なんでか、顔がすごく熱い。きっと、すごく赤くなってるんだろうな、って思った。 ずっとこうしていてもつまらないから、私はそーっと、男の子を振り返る。 男の子は困ったような顔をして、私を見ていた。男の子も顔が赤くなっていた。 不意に流れていった風がさわさわ、って木を揺らす。 突然にゃお、ってネコの鳴き声がした。 ――にゃお、って。 ――ねこ? ねこの声? ただそれだけなのにすごくほっとして、私達はくすくすと笑い出した。 おかしくておかしくて、すごくいっぱい笑って。 突然、握っていた手をぎゅっとつかまれた。 ――なあに? 私は首をかしげて男の子を見る。 男の子はちょっと恥ずかしそうに笑って、もう一度手をぎゅっとした。 ほっぺたに小さなえくぼが浮かんでいた。 「はじめまして!」 そうして、私達は友達になった。 ***** 「あの頃はあんなに可愛かったのに……どうしてこんなになっちゃうのかなぁ〜」 「どういう意味だよ、それ」 「そのまんまの意味ですー。可愛くないっ」 「あのな……」 隣で本を読んでいたソイツの髪をひっぱって、私はため息をついた。 そんな私はいつものことなので、ソイツもぜんぜん気にしない。 ちょっとだけ面白くなさそうに眉を寄せてから、また読んでいた本に視線を落とす。 「落ち着きがないとこは、昔っからだな」 「何、それ」 「言葉通りだけど」 短く言って、ぺらり、とページをめくる。 面白くなくて、私はむぅと頬を膨らませる。 すると、見てもいないのにソイツは手を伸ばして私の頭をぽんと撫でた。 幼い頃から何度も繰り返してきた、仕草。 「…………」 「長い付き合いだしな、お互い」 それだけ言って、また本のページをめくる。 私が頭を撫でられるのがスキだってわかっててやるんだ、ソイツは。 なんだかくやしくて、でもうれしくて。 私は小さなため息を零してから、ごろんとソイツの膝に寝転んだ。 目を閉じて、ぐっと背伸びをする。 「重い」 「我慢してよ。長い付き合いなんだし」 「…………」 そう言い返して、私は風の音に耳を澄ませた。 頭の上で、大きなため息が聞こえてきたのでちょっと笑ってしまう。 口では文句を言っても、結局は私の好きにさせてくれるのを知っているから。 やがて、また本のページをめくる音が聞こえ始め。 私はいつでも変わることのない暖かさに微笑を浮かべ、ゆっくりとまどろみに浸っていく。 昔から、変わらないもの。 それはきっと、これからもずっと変わらない。 |