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+Cry for the moon.+
夜空に輝く月は、何を想うのだろう? それを見つめる眼差しに映るのは、いったい何? 「何、してんだ?」 「……ん?」 不意に、後ろからかけられた声に少年は振り向く。 その拍子に、頭に結んだバンダナからはみ出た漆黒の髪がさらり、と流れる。 目の前に立つ茶色の髪の親友に、少年は頬を緩めた。 「なんだ、テッドか」 「なんだはないだろ、なんだは」 軽い調子で言い、座り込んだ少年の隣に腰を降ろす。 グレッグミンスターでも有数の邸宅の屋根に、夜も遅い時間に座り込む少年二人。 彼らは何も言わず、ただ、空を見上げていた。 しばしの沈黙が流れ、テッドは何気ない動作で不思議そうな表情で少年を振り返った。 その視線に気付き、少年は「何?」と問い掛けるように首をかしげる。 「なんかあったのか?」 「なんかって……別に、何もないよ」 「じゃあ、どうしたんだよ一体。空なんか見上げてさ」 問いただすような口調ではなく、ごく自然な言葉で返答を促す。 その、何気ない優しさとも思える態度に、少年は胸が温かくなるのを感じた。 流れる風にさらわれる髪をそっと手で抑える。 「……なんとなく、月が見たいなって思ったんだ」 「ふーん? 別に、満月でも三日月でもない、ただの半月のくずれた月を?」 「別に、月見をしたかったわけじゃないよ」 心底不思議そうな口調のテッドに、くすくすと笑みを漏らしながら答える。 微笑みの名残を頬に残したまま、少年は再び空――月へと視線を向けた。 煌々と、やわらかい光を放つ半端な形の月。 それに、そっと差し伸べた右手を重ね合わせた。 まだ小さいとしか思えない、幼い手。 「昔、さ。……テッドに合うよりも前に、父上に言ったんだことがあるんだ」 「何を?」 「――月がほしい、って」 月と、右の手のひらが交差する。 淡い光が指の間から零れだし、そっと地上を優しく照らしていく。 「こうやって手を伸ばして、さんざん父上を困らした」 「へぇ……」 「まだ小さかったから、ムリだ、って言われても欲しくて。凄い泣き喚いてた」 伸ばした手も届かない彼方にあるその光を放つモノを、どうしても手にしたくて。 そう言ったら、父はひどく困った顔をしていたのを覚えている。 ――幼い頃の、他愛ない思い出。 今では、それがどれほど無茶なわがままだか、理解できる。 手に入れられないものを、欲しがるなど――それほどに幼かった日々があったなど。 もう、ほとんど思い出せないのだけれど。 「俺も、ガキの頃はよく同じようなこと言ってたな」 「テッドも?」 「まぁな。月とか、星とか、……手に入らないものばかり、いつも欲しがってた」 不意に、テッドはひどく遠く、儚い眼差しで月を見つめた。 ドキリ、と心臓が大きな音を立てて脈打つ。 時折、この親友はそんな顔をする。 普段は誰よりも幼く見え、また年だって自分とそう変わらないはずなのに。 誰よりも何よりも長く生き続けた老人のように、静かな眼差しと表情を浮かべる。 「いつも、いつも……俺の欲しいものは、手に入らないものばかりだった」 「…………」 「大したものじゃないのにな。……ほんの、些細なものなのに……」 そう言って、テッドもそっと右手を伸ばして月に重ねる。 醜い傷があるから、と言ってどんな時でも決して外さない、手袋。 その手に触れられることをひどく恐れる、彼は――。 「まぁ、今はそうでもないけどな」 そっと降ろした手を左手で握りしめ。 にこり、と、豹変と称してもいいほどあっさりと表情を変えて彼は笑った。 明るく告げるテッドに、少年もまた微笑みを浮かべた。 「……うん、そうだね」 「欲しかったら自分で手に入れられる。だろ?」 おどけて肩をすくめて見せる親友に、少年も頷いて同意する。 胸の内にある、ちいさなちいさな違和感を押し留めて。 「うー、さむっ! そろそろ寝ようぜ。明日寝坊して起こられるのはゴメンだからな」 「それはテッドだけだろ?」 「なんだとー?」 笑いながら立ち上がり、屋敷内に戻ろうと歩き出す。 一足先に窓をくぐったテッドを追い、窓枠に手をついたところで少年は一度動きを止める。 わずかに躊躇い、そっと月を見上げた。 「……手の届かない……」 その先に、何を続けようとしたのか。 少年は静かに口を噤み、音を立てずに部屋の中へともぐりこむ。 そっと閉ざした窓の外に変わらずにある月を見て、少年は先に戻った親友を追いかけた。 かつて願い、欲しがったのは、夜空に輝く月。 かつて彼が願い、欲しがったのも、同じモノ。 ――けれど、今、彼が願うのは、……何。 少年の大切な親友が胸のうちに潜める想いは、何。 それを知ることはないかもしれない。 けれど、――手の届かないモノを欲するのは、消して、罪ではないのだから。 |