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某所にある、とある山の中の某所、力強い陽光に煌く夏の緑の薫りを乗せ、そよ風が吹く。目を閉じ、全身に受け止めそれを感じる。すり抜ける一つ一つが笑いかけるように、彼の体を撫でていく。 ――大好きな人がいた 「もう、こんな季節になってしまったんですね。来る方も大変なんですよ? これでも、少し忙しい身になったものでね」 ――大切な人がいた そこは、彼しか知らない場所。この場所の意味は彼しか知らない。この十字架の意味は、彼しか知らない。 ――守りたい人がいた 神聖なモノを扱うように、十字架の下にすっと手を置くと、何もなかったはずのそこには、いつの間にか1輪の花が現れていた。 ――傍らにいることが当たり前だった 「受け取ってください。こうして渡すの、好きだったでしょう?」 ――だからこそ、かけがいのない存在で 「逃げているのか…まだ、判らないな。菖蒲、あなたはどうです? あれから五年経ちました。あなたは、今のボクを見て、どう思いますか?」 ――とても、大切に想えた人… ~前編~ 季節は夏、天気は快晴、特に風が吹くわけでもなく、陽の光だけがジリジリと焼けつくように差し込み、汗が体にまとわりつくように流れる。蒸していないのがまだ幸いと言える状況だった。 「仁兄ぃ! 早く来なよ。日が暮れちゃうよ!!」 「はぁ…はぁ…、も、もう少し待ってくれませんか?」 息を切らしながら、15、6歳くらいの少年が一人情けない声を出して山道を登っている。 夏という季節と、少年という年には分不相応な、少しよれた大き目のロングコートを着ている。それが彼にとっては、必要不可欠な仕事着であるため仕方のないことなのだが、いかんせん暑い。時間が経てば経つほど、夏の陽射しは彼の気力と体力を削り取っていった。 (やっぱり…やめておいた方が…良かったですかね…?) 少年の気持ちは、少しずつ後悔の方へと傾きつつあった。 「結崎 仁」、言葉使いからは少年という雰囲気は感じないが、まだ新米のハンターとして活動している。 「もう…だらしない。男でしょ!!」 その遥か向こうから元気の良い声で彼を呼ぶ声がする。うんざりした様子で、彼は俯いた顔を上げた。 やや金色がかった茶髪を背中の中ほどまで伸ばした、彼より二つ程年下と思われる、大きな黒い瞳の少女が視界に入る。彼女の足元では、元気な影がせわしなく動いていた。 こちらは、名を「待宵 菖蒲(まつよい あやめ)」という。仁とは幼い頃からの仲であり、親友でもある。彼がハンターになると同じくして、情報屋のような活動をしている。 情報屋といえば聞こえはいいが、年が年なのでそうそう上手く仕事運びが出来るわけではない。ギルドで噂話程度のことを聞きつけ、仁に話を持ち掛けるという、その程度のことだった。 今回の事もそうだった。事の発端は、数日前に遡る。 その日、仁はTシャツにジーンズとラフな恰好をして、我が家のベッドに寝転がり夏の猛暑にうだっている最中だった。決して通気の良いとは言えない部屋に熱気がこもり、顔に被せた冷えたタオルは既にぬるくなってしまって、かえって気持ち悪くなりつつある。 我が家と言っても、一つの部屋に申し訳程度のキッチンがあるくらいなモノである。しかし、彼の『能力』を持てば、その狭い空間でも十分快適に過ごせる。仁も割かしこの生活が気に入っていた。 が、さすがに自然の摂理には抵抗できない。熱さや寒さは、彼の取り扱う範疇ではないのだ。 コンコン。 ドアを叩く音がする。嫌な予感、というよりも確信。居留守を使おう。瞬間的に彼は決断していた。 だが、そんなことは通用するはずもなく、鍵を掛けていないドアはお構い無しに開かれた。 「やっほー♪ 仁兄いる?」 陽灼けた顔に満面の笑みを浮かべながら、例によって少女、菖蒲は顔を覗かせた。 「…いません。お帰り願います」 誰が来たかもロクに確認せずに、仁は言った。彼の様子を見た菖蒲は表情を歪め、 「うわ、真に迫ってるって感じだね…」 「そう見えますか?」 「むちゃくちゃ見える」 仁の問いに、菖蒲はきっぱりと返した。 「あぁ…そうですか。で、何の用です?」 そこで仁はタオルを取り身を起こした。赤褐色の髪はボサボサで、菖蒲に向ける灰色の瞳は、不機嫌なのか眠いのか、どちらなのか判断に困るモノだった。 「仁兄一人で暑がってるだろうなあと思って♪」 「…用は済んだようですね。それじゃあ」 仁は再びベッドに寝転がり、ゆっくりと目を閉じた。 「なんでそうなるの!? 起きてよッ!」 菖蒲は寝転がる仁の上にまたがり、シャツの襟首を掴んで彼の首を上下に揺らした。 「や、やめなさいッ! 乱暴はよくないですよッ!!」 菖蒲はそれに応じて手を離す。荒い息を整えながら仁は、 「いきなり何するんですか」 「あたしを無視するからよ」 仁の腹の上で腕を組み、憮然として菖蒲は言った。下から見上げると、それなりに威圧的だ。 「無視はしていません。早くどいて下さい」 「はいはい、わかったわよ」 菖蒲は機嫌悪く言って身軽にベッドから降りた。仁は再度起き上がり、 「で、何の用です?」 「だから、独り身の仁兄の生活に華と潤いをね」 「あのね…ボクだって暇じゃないんですよ?」 「暇そうじゃん」 「暑くて忙しいんです」 「屁理屈言ってないでシャキッとしてよ!」 「誰かのおかげで頭がクラクラします」 「もうッ!!」 憤然と立ち上がると、菖蒲はキッチンへ向かった。仁は僅かに首を動かし、 「何をする気ですか? 散らかさないで下さいよ」 「眠気覚ましよ。ちょっと待ってて」 一度足を振り返り、怒ったようにそう言うと菖蒲はコンロに火をつけた。 「暑いのに…」 仁は、ポツリと呟いて項垂れた。 いつもそうだった。毎日のようにやって来て、それが当たり前、自然なことだった。 だから、つれない態度も、面倒臭そうに受け答えすることも、彼女の前では全てが特別だった。 「はい、お待ち」 しばらくして、透明な茶色い液体で満たされた、熱い蒸気の立ち昇るカップが、仁の前に差し出された。 「どうも…」 覚悟を決め、それを受け取り口をつける。液体は喉を灼くように流れ落ち、苦味に刺激され、体が活性化していく。 仁は熱い息を吐いた。コーヒーはブラックに限る。 「で、何の用です?」 「せっかちね。もっと、あたしとの会話を楽しんでよ」 「楽しむねえ… アヤメの話の内容を考えると、どうも気分が重くなるのは気のせいでしょうか?」 「純度100%気のせい」 「……、ふぅ」 「わざとらしい溜息をつくなぁッ!!」 菖蒲のパンチが飛んできたが、仁は軽くそれをかわした。 「酷いよ仁兄、あたしがどんな思いで訪ねてきてるのか、きっと考えたこともないんだわ」 「そういえば、そんなこと考えたことありませんでしたねぇ…」 穏やかな笑みを作り、仁は軽く流した。 「…えーん、仁兄がいじめるぅ…」 あからさまな嘘泣きを始める菖蒲。 「泣いたり怒ったり…忙しい人ですねぇ」 「仁兄がそうさせてるんでしょうがッ! この自覚無し太郎ッ!!」 「…あのですね、そろそろこの会話を止めませんか? きっと飽きられてると思いますし」 「誰によ?」 「細かいことは気にしないで。さあ、何の用なんです?」 「わかったわよぉ…じゃあ言うわよ? ほんとに言っちゃうよ?」 「さっさと言ってください」 そこで菖蒲は、ようやく真剣な顔つきになった。どうやら、本当に言う気になったようだ。 「…山なのよ」 「は? 何ですって?」 「だから、山なのよ」 ヤマとは、あの緑の、登山の山だろうか。仁は漠然と、それをイメージしていた。 「あの、もう少し具体的に説明してくれませんか?」 「えっとね、ギルドに依頼が来てたのよ。調査依頼ってやつ」 「山に何かがあるんですか?」 「うん、その山にね、突然生き物がいなくなっちゃったっていうのよ。気味が悪いから、近くの人たちが調べて欲しいんだって。誰も本気にしてなくて相手にされてないみたいだったから、あたしがその依頼を預かってきたのよ」 菖蒲は視線を持ち上げて、言葉を拾いながら言った。 「内容がいまいち把握できませんね…ってもしかして、ボクにその依頼を受けろって言う気じゃないでしょうね…?」 仁は恐る恐る、怪しむように訊ねた。菖蒲は彼の言葉を聞いて、満足そうに笑った。 「その通り! さすがに察しが良いね」 「誰でも判りますよそんなこと。ちなみに言っておきますが、今のところボクは無理して依頼を受けなければならないほど生活に困っているわけではありませんし、猛暑の中出かける気も毛頭ありません。…というか、本当にギルドの依頼なんですか?」 念を押すように仁は訊ねた。菖蒲は不満そうに、 「なによぉ…そんなに、あたしって信用ないかしら?」 「それは、自分で考えてください」 「なんか、微妙な感じね。とにかく、一緒にギルドに来てよ」 「嫌です」 「何でよ?」 「理由もなしに、命の綱渡りはしたくないですから」 終始冷めた態度をとりつづける仁に、菖蒲は口を尖らせた。 「でも、預かったものは仕方ないし、あたしにも責任があるわけで…まあどうしてもっていうなら無理強いはしないけどさ。あたし一人ででも行ってくるつもりだよ」 その菖蒲の申し出に、仁はようやく真剣な顔つきになった。 「待ってください。あなたは民間人なんですから、たとえ少なくても危険の可能性があるような事はするべきじゃありません。取り返しがつかなくなったらどうするんですか」 「あら、もしかして心配?」 「そりゃあね。目覚めが悪くなったら嫌ですし」 「なんか気になる言い方ね…でも、このさい贅沢は言わないわ。嬉しい♪」 さっきまで暗かった菖蒲の顔が、すぐに笑みに満たされる。本当に感情の起伏が激しい。仁は呆れたような苦笑を洩らした。 「しょうがないですね… じゃあ、一度ギルドへ行きましょうか。受けるか受けないかは、それから決めますからね」 「うんうん、それでいいわよ。これであたしの面子も潰れないわ」 決まるが早いか、菖蒲は勇んで外へ飛び出して言った。しばらく、仁は茫然として彼女の背中を見つめていた。 「何やってんの!? 早く支度しなよ!!」 急かす菖蒲の声に、仁はゆっくりと重い腰を上げた。とりあえず、髪だけは整えておこう。 「…まったく、現金な人だ…」 一応ではあるが、ギルドにも話は通っていたようで、菖蒲を従えた仁が用件を言うと、ギルド側はすんなりと彼を受け入れた。 「ああ、君がそうなのか。じゃあ頼むよ。これが概要だ」 窓口の男は訳知り顔で、依頼内容の概要が書かれた一枚の紙切れを仁に差し出した。仁はそれを受け取ってざっと目を通す。菖蒲も横からそれを覗いた。 概要には、おおよそ次のようなことが書かれていた。 『ここから近場のある山で、生物が忽然と姿を消したという不可解な事件が発生した。深夜、山の中から聞こえる奇妙な唸り声を住民は聞いており、大型モンスターの仕業ではないかと噂されている。 近隣住民も不安がっているので、調査を依頼する。もし魔物の仕業なら、被害が拡大する前に食い止めて欲しい。なお、情報があまりにも足りないので、十分な準備をして現地に赴いてもらいたい』 「報酬は結果次第。無駄足になるかもしれんし、危険も十分に考えられるが、魔物と遭遇した場合、『石』などの戦利品は、君の自由だ。受けるなら、近辺の地図と路銀を渡そう」 「路銀? ずいぶんと待遇が良いようですが…」 仁は慎重な目つきで受付を睨んだ。 「相手さんも必死なんだろうよ。実を言うと、こちらも催促されて困っている。受けてくれると助かるんだがね…」 男はおどけたように肩をすくめた。 菖蒲の言う通り、たぶん誰も相手にしてくれないのか、人手が足りないのだろう。こんな不確かな要素の多い依頼よりも、確実に稼げる依頼だってあるのだから、そちらを優先するのは仕方のないことだろう。素人にしても、魔物との遭遇という危険がある分、できるだけ安全な選択をしたいというのが常というモノだ。 「うーん…」 そう呟くと、仁はしばらく考えるように黙っていた。 「ね、どうするの?」 じれったそうに菖蒲が仁を見つめている。それでも黙る仁に、彼女の緊張は続いた。 「…わかりました。受けますよ…」 「本当!?」 菖蒲の緊張が解け、パッと表情が明るくなった。 「ええ、本当ですよ」 「そうこなくっちゃね! やっぱ仁兄は頼りになるわ!!」 何がそんなに嬉しいのだろうか。はしゃいで腕に纏わり付く菖蒲を仁は複雑そうに見つめていた。 ――そういうことで、結局は仁が折れる形となり、現在に至る。 受けてしまったモノは仕方がない。とにかく、さっさと依頼を終えて家に帰りたい。それが彼の望みだった。 せかす菖蒲の叱責を受け、仁は不服そうに、 「…すいませんね、だらしなくて。だいたい、アヤメは無駄に元気がありすぎなんですよ」 「こらッ! ちゃんと聞こえてるわよッ!!」 遠くで自分を呼んでいたはずの菖蒲が、いつの間にか、仁の目の前で仁王立ちしていた。仁は驚いて、 「うわ! なんですか、落ち着きのない人ですね…」 汗を拭いながら、仁はジロリと菖蒲を睨んだ。だが、菖蒲はそんなことは全く気にしていない。 「でも、勝手だよね」 「は? 何がですか?」 急にそう呟く菖蒲に、仁は何のことだかわからずに訊ねた。 「町から依頼出しといて、誰も案内してくれないなんてさ」 菖蒲は少しむくれて言った。「ああ」と仁は思い出したように頷いた。彼女がそう思うのも、無理はないだろう。 依頼された街に赴いた際、地理に詳しい者もいたはずなのだが、案内を買って出てくれる人は誰もいなかった。 危険なことには関わりたくないから、こちらで勝手にやってくれ、というのが相手側の申し出だった。頼んでもらちがあかない様子なので、仁たちは仕方なく二人だけでここに来ていたのだ。 「仕方ないですよ。みんな、得体の知れない場所には近づきたくないんでしょう。それに、場合が場合なら、それに見合った報酬を貰うだけです」 「はぁ、若いのにしっかりしてるねぇ~…」 それから菖蒲は、しばらく考え込むように仁と並んで歩いた。そして、 「う~ん、でも、誰も近寄りたくないってことは、少なくとも街の人たちは、ここが危険だって思ってるわけだよね? と、いうことは、あたしの予想は正しかったってことよね。やっぱり、この山には未知の魔物が潜んでるのよ」 「まあ、可能生は否定できないでしょうね…」 仁は嫌なモノでも想像したようで、疲れた吐息と共に、そう呟いた。 「仁兄、乗り気じゃないね」 「当たり前です。もし、そんな魔物がいて、戦う事になったらどうするんですか」 「やっつけるに決まってるじゃん。こう、冒険心ってモノがないの? 強い奴って聞くとワクワクするんだってくらいの気合が欲しいところだよ」 菖蒲は、さも当然と言った風にそう答えた。 「ボクは日々慎ましく生きられれば、それで結構です。妄想はやめなさい」 「妄想じゃないよ。可能性を述べているだけじゃない」 「過度な期待は妄想になり下がります」 仁は諭すように菖蒲に言うが、彼女はその考えを全く譲る気は無く、それからも一々喋りながら山道を歩いた。疲れというモノを知らないのかと、疑問に思うほどである。 (どうにかならないんですかねえ… まったく、遊びじゃないんですから…) 仁は内心、うんざりして言葉を洩らしていた。 好奇心の塊みたいな人でした。だから、いつも危なっかしくて、もう少し、落ち気があったら良いのにと、いつも心配していた気がします。 振り回される、こっちの身にもなって欲しいものでしたね。ただ、それに流されていたボクも、まだ幼かったんでしょうね。 「ふわぁ、絶景かな…」 山頂から見える景色に、菖蒲の口から感嘆の声が洩れる。 山頂は心地よい風が吹いており、幾分涼しかった。丁度良い感じの木陰に腰を下ろし、仁はコートから水筒を取り出し、水を一口飲んで疲れた体を休めた。 「仁兄も来なよ。いい眺めだよ!」 「そうですね…」 「『そうですね…』じゃないでしょ! そんなことばっかり言ってると、友達無くすわよ」 ツカツカと歩み寄る菖蒲を、仁は見上げて口を開いた。 「大きなお世話です。仕事は真面目に、これは基本です。あなたには、まだ仮ですけど、魔物退治に来た自覚がないんですか? ボクは、あなたの言うことを一応信用してここに来ているんですよ?」 「いいじゃん…ちょっとくらい羽目外したって。それに、一応は余計!」 ビシッと力強く指を突き出し、菖蒲は注意する。そこで、彼女は「あ」と仁の持つ水筒に気がつき、面白そうに笑った。 「いつ見ても面白いよね。仁兄のそれ」 「そうですか? 別に、大したことはないでしょう」 仁は意外そうな顔をして、水筒を手の平に乗せた。次の瞬間、水筒は見る間に小さくなっていった。 『魔法使い』である彼の能力、『物質の縮小、縮尺化』。いつから使えるようになったのかは、彼自身も記憶が曖昧で判っていない。ただ、気が付けば使えるようになっていた。 おかげで部屋は片付き、いくら持ち物があっても、このコート一着で事足りる。なかなか実用性が高い能力だと思う。因みに、コートの内側にあるポケットの幾つかは、自家製である。 「うん、面白いと思うよ? 手品みたいで、不思議な感じ」 菖蒲が柔らかく微笑む。こうして大人しくしていると、いつもの幼さが消えるようだった。 そうして彼女は、疲れたように仁の隣に腰を下ろした。しばらく、二人は風に癒されながら、静かな時を過ごした。 「こうしていると、本当に静かですね…」 「本当だね… ずっと、こうしてるのも悪くないよ…」 菖蒲は、うっとりと目を細め、恍惚の入り混じった声でそう呟いた。仁は頭上に広がる、抜けるような青空を見上げていた。 本当に静かだ。こうしていると、時が止まっているようで不思議だ。 一度滅びながらも、それでも力強く人々が息づくこの世界。滅んだ、と言うと何か感じるモノが違うが、ボクはこの世界を気に入っている。 確かに、悲しい想い出はたくさんある。が、それに負けぬほどの笑顔があり、想いがある。 ボクは、その笑顔を守るために頑張っているつもりだ。この世界を変えていく、確かな笑顔を。少なくとも、傍らにある笑顔は守ってゆきたい。 「――さて、そろそろ調査を開始しましょうか…」 「んー、もう少し、ダメ?」 「何ですか? さっきまで、散々はしゃいでたのに…」 「しょうがないなぁ…わかったよ。でも、こういう時はもう少しゆっくりしてた方が良いよ。次からは覚えておいてね」 「はぁ…、一応覚えておきます」 いつもとは、少し雰囲気の変わった菖蒲の言葉に、仁は怪訝そうに、首を傾げながらも了解した。 その日の調査は、成果は上がりませんでした。山頂まで登った疲れもあったせいでしょうけど、8割ほどは菖蒲が色々と… あまり思い出したくはありませんね。とにかく、その日は適当な場所を見つけて、キャンプを張ることにしたんです。 「仁兄のコートはいつ見ても不思議で凄いね、まるでドラえ〇んみたいだよっ♪」 焚き火を境に向かい合い、コートから鍋やらなんやら、コートには収まるはずがない大きな物を色々と取り出す仁の様子に、菖蒲は手を合わせて喜んでいた。 「ドラ〇もん…ねえ。それはよかったですね…」 菖蒲の言うドラ〇もんとは、『蒼の災害』以前、日本での人気アニメだったらしい。二十二世紀からやってきた猫型ロボットが、お腹のポケットから色々な道具を出して主人公の少年を助ける、という内容だったと思うが、現在そんな物は、まったく開発される様子はない。 「むぅ…、今日の仁兄ノリが悪いよ」 やる気の感じられない呟くように言う仁。菖蒲は口を尖らせて抗議するが、彼は聞かないようにしていた。 「色々と、そうなる要因が重なっているせいでしょうね」 「それって、あたしの性?」 「なんだ、わかってるじゃないですか」 「む…今日の仁兄口悪い! そんなんじゃ女の子にもてないよ!!」 「なんでそういう方向に話題が飛ぶんですか… 別にもてなくても結構ですよ」 「はぁ」と疲れた溜息をつくと、仁は顔を上げて菖蒲に目を向けた。 「そもそもですね、あなたは情報提供者であってここまで付いて来る必要はなかったでしょう? 半信半疑で引き受けたんですけど、もしもの場合があります」 「情報提供者だからこそ、付いて来てるんじゃない。それに、仁兄ひとりじゃ心配じゃん。あたしだって少しは鍛えてるんだから、手伝えるよ」 「わかってませんね。小さくはありますが、山の生物を食い尽くす、あるいは消し去るほど獰猛な魔物かもしれないんですよ。あなたがいくら鍛えているといっても、足手まといになるに決まってます」 「……ごめん。やっぱり、あたしじゃダメだよね…」 思わず口調がきつくなっていたのか、急に菖蒲はしゅんとして、膝を抱えて黙りこくってしまった。 「ダメとか…そういう問題じゃないんです。危険だから…」 「それは、仁兄も同じでしょ!?」 菖蒲は、急に身を乗り出して叫ぶようにして言った。 「あたしだって、危険な目に遭うことくらい、判ってるつもりだよ。もし、あたしが残って、仁兄だけが大怪我でもして、帰ってこなくなったら嫌じゃん。仁兄だけが、危険な目に遭うなんて不公平だよ!」 真摯に訴える黒い瞳に迫られ、仁は言葉を詰まらせた。 いつもそうだった。こういう時の菖蒲の心は、うまく読めない。 「…一つ、訊いても良いですか?」 不意に仁が口を開いた。 「なに?」 「なんで、情報屋なんて始めたんですか?」 仁の問いに、菖蒲は少し驚いた顔をし、困った風に俯いた。 「だって…仁兄、一人で先に行っちゃうんだもん。あたしたち、いつも一緒だったのにさ。あたしだけ、取り残されてるみたいで… だから――」 「アヤメ…?」 そこまで言って唇を閉ざす菖蒲に、仁は怪訝そうに彼女を呼んだ。 「…じゃあさ、不公平だからあたしからも質問ね。仁兄は、どうしてハンターになったの?」 「ハンター、ですか。そうですね…」 仁は顎に手をあて、少し考えた後、遠くを見るような目をして、やがて口を開いた。 「強いて言うなら、自信が欲しかったんです。今でもそうですけど。守りたい人がいるんですよ。その人を、守れる強さの証明がね」 「誰? 守りたい人って…」 眉根を寄せて、不安げに菖蒲が訊ねる。だが、仁はおどけたように肩を上下させ、 「さあ? 秘密です」 「ずるい! 教えてよ!!」 菖蒲はいつもの、やかましい口調に戻ったが、仁はごまかすように笑うばかりで答えようとはしなかった。 「さ、ご飯にしましょう。温かいうちに、どうぞ」 「う~…」 釈然としない顔だったが、空腹には抵抗できずに、菖蒲の差し出した器を手に取った。 結局、その日はそのまま眠ることになりました。でも、事件はその深夜に起こったんです。 ――ウオオオオオオオォォォォ……ッ!!! 「――ッ!? 今の声は…?」 深夜に響くその声に仁は目を覚ました。山全体を震えあがらせるようなプレッシャー、闇の奥から、夜風に乗ってきたそれは、魔獣の遠吠えに間違い無かった。 「…まさか、本当にいたとはね」 声の感じからして、そう遠くはないだろう。仁は菖蒲のほうを一瞥する。彼女は毛布に包まり、年相応の寝顔で静かに寝息をたてていた。 「すぐに帰りますから、大人しくしていてくださいね…」 仁は彼女を起こさぬように静かに呟くと、コートに腕を通し、魔獣の声に導かれるがままに山の暗闇へと進んでいった。 ~後書き~ どうも、ひ魔人です。 この話は、企画『PROJECT LIFE』に登場する我がキャラ、「結崎 仁」の外伝です。 なぜか予定より長くなり、前後編に分けることにしました。 何分、他人様の世界を借りての話なので、変なところがあるかもしれませんが、それは御愛嬌ということで…(汗笑) オリジナルの「待宵 菖蒲」。仁の親友ってことになってます。兄妹みたいな感じですけどね。 ちなみに、こいつの名前には裏ネタがあります。適当に決めたわけじゃないんですよ?(笑) 気が向いたら、考えてみてください。 まあ、作者の思いは後半の後書きにぶつけるとして、今回はこの辺で。そひでは(座礼)。 |